三智を磨き、自己の生き方を切り拓く Okuwa Junior High School
長野県木曽郡大桑村長野891番地-1
TEL 0264-55-3039

学校概要

学校概要

本校の所在地大桑村は木曽谷の南部に位置していて、古き良き時代の面影を残した須原宿と野尻宿、澄み切った水が巨石の間を流れる阿寺渓谷、中央アルプスへの登山口等、豊かな自然に恵まれ、文化や伝統が大切に継承されている地域です。

 大桑中学校の誕生は昭和22年の学制改正がきっかけでした。当時の大桑村には野尻・大桑・須原の3つの“国民学校”がありましたが、「6・3制」への移行とともに“小学校”と校名を変更し、新に“大桑中学校”が誕生しました。5月に開校式を行ったものの、新校舎のめどは立っておらず、とりあえず小学校を間借りして、須原・大桑・野尻の3部校として出発しました。中学校の校舎建設には多くの苦難がありましたが、昭和25年に現在地に統合校舎が落成し、その翌年から完全に統合して学習が始まりました。実はJR中央西線“大桑駅”の誕生も校舎建築が大きく関わっています。
(※「大桑駅の誕生」を参照)

 それから40年後、村民団結の象徴であった木造校舎は役目を終え、平成2年に鉄筋コンクリートの近代的な校舎になりました。この校舎も築30年を超えていますが、内装に木材をふんだんに使っているため古さは感じず、輝きに深みを増しています。

かたらいの場とブロンズ像「ゆめ」
かたらいの場とブロンズ像「ゆめ」
三智の碑
三智の碑
郷土の文豪、島﨑藤村の言葉が刻まれています。本校の学校教育目標はこの言葉が元になっています。
木曽五木
木曽五木
(ネズコ・ヒノキ・サワラ・アスナロ・コウヤマキ)
アルプホルン
アルプホルン
中庭
中庭
駒ケ岳
駐車場からは駒ケ岳が見える
学校名大桑村立大桑中学校
Okuwa Junior High School
所在地〒399-5503 長野県木曽郡大桑村長野891番地1  →アクセス
東経137度40分18秒 北緯35度41分16秒 海抜578.2m
TEL0264-55-3039
FAX0264-55-2400
URLhttps://jh.kiso-ookuwa.net/
開校年月昭和22年 新制大桑中学校開校
沿革はこちら
校長名小林 博樹
生徒数61人 R6年4月1日現在

 長野県の南に位置し、岐阜県とも近い「大桑村立大桑中学校」は江戸時代の中山道の面影を残す、「七曲りの野尻宿」、「水舟の須原宿」、「定勝寺」などの歴史の趣き、「阿寺ブルー」と呼ばれる阿寺渓谷や澄んだ空気に包まれた豊かな自然、そして人の温かさと優しさにあふれた村の方々に支えられている大桑村のほぼ中央に位置しています。

 夜明け前などで知られる文豪島崎藤村の言葉『三智~(1)学んで得る智 (2)人と交わって得る智 (3)自ら体験することによって得る智』を引用させていただいた学校目標「三智を磨き、自己の生き方を切り拓く」の実現に向け、生徒は日々の学習、清掃や挨拶などの伝統や生徒会活動を大切にしながら、タブレット利用や「オオクワガタコミュニティースクール」など地域の方々とも連携した、体験、探究型の学習など新たな、独自の取り組みも並行して進めてまいります。

 中学校生活を重ねることで、たくましく自己の生き方を切り拓くことができる「基礎力」を養い、自身の「方向性」も決め出していけることを目指しています。

大桑村名勝
阿寺渓谷、水舟、定勝寺

校章・校歌

校章の由来

大桑中学校 校章(カラー)

大桑中学校の校章は、大桑村のシンボルである桑の葉をモチーフとして、「優美」「雄大」「質実剛健」「文化の向上」を祈念して制作されました。
桑の葉の三葉は「須原・大桑・野尻」の3地区を表し、葉脈の切れ込みは駒ケ岳を中心とする四方の山々および木曽の豊かな木々を、葉脈は木曽川の本流とたくさんの支流がそれぞれ表現されています。
葉柄の先のペンには学問により世に貢献する心意気が、白線には真実と誠実さの意味が込められています。

校歌

 作詞・作曲:岡本敏明

朝日(あさひ)をうけて (かがや)(おか)に 学ぶわれらの 心はひとつ 花と開け 花とかおれ
育て豊かに 若人(わこうど)よ 大桑中学 われらが母校

木曽川(きそがわ)(きよ)く  南に流れ 紅葉(もみじ)あかるく 木曽路(きそじ)ににおう (おこ)せ文化 守れ郷土
伸びよ豊かに 若人よ 羽ばたけ高く 希望(きぼう)の空に

夕日をうけて 輝く駒ヶ岳(こま)を 望むわれらの 心はひとつ (みが)知性(ちせい) 追えよ理想

みのれ豊かに 若人よ 栄えよ永遠に われらが母校
大桑村からの木曽駒ケ岳
大桑中学校校歌
大桑中学校校歌

学校教育目標

目標

三智を磨き、自己の生き方を切り拓く
~「知・徳・体」 調和のとれた生徒を育てます~

学校教育目標に「三智を磨き、自己の生き方を切り拓く」という言葉を掲げていますが、これは郷土の文豪、島﨑藤村の言葉が元になっています。

 『人の世に三智がある。
  學んで得る智、
  人と交つて得る智、
  みづからの體験(たいけん)によつて得る智がそれである。 』

島崎藤村の言葉より

知識を蓄え、多くの人と交わり見識を深め、実際に体験することで本当の智慧を身につけていく。そんな教育の具現化に向け日々工夫・実践しながら教育活動を展開しています。授業力向上、ICTの活用、三智の時間(総合的な学習)等の充実がその具体例です。

それらの活動を支えてくださる組織としてCS(コミュニティースクール)の充実が進んでいます。
本校は「信州型CS」に基づき「大桑型CS」通称“オオクワガタCS”と呼ぶ総勢40名が在籍する組織があります。昆虫の名前に寄せることで身近な存在を目指し、特に「フレンドリー講座」という体験学習では、地域の方との交流の運営に大きく関わっています。

令和5年度大桑中学校グランドデザイン
令和5年度大桑中学校グランドデザイン 子どもの育ち・学びの図

沿革

年月日事 項
昭和22年4月1日新制大桑中学校開校
31年6月10日校歌制定
38年7月16日プール完成
39年9月1日新校舎完成
43年1月25日大桑中学校沿革誌発刊
44年11月16日「賢・愛・健」の庭園「三心の庭」完成
52年10月29日校門設置 校歌碑設置
平成元年4月15日大桑中学校40年誌刊行
3年12月25日生徒会の歌「風光る学舎」制定
4年6月16日新校舎竣工式 ブロンズ像「ゆめ」・校旗・校歌額の寄贈を受ける
5年4月19日大桑中学校同窓会発足
9年10月4日「藤棚」「かたらいの場」完成

大桑駅の誕生

統合にあたって、問題となったのはどこに中学校を建設するかということ。
結論としては村の中央がよろしいということになりましたが、中山道が南北に通る本村にあってはその交通手段も問題の一つでした。村の中央には役場や経済流通の要となる農協本部も所在している一方、簡単に歩いて行き来できる距離ではありません。そんな状況の中、大桑中学校が誕生したわけです。

路線バスによる輸送も検討されましたが、将来の採算を考えれば大幅な赤字が見えていました。そこで考えたのが駅の設置でした。しかし、大桑村には須原駅と野尻駅がすでにあり2駅間の距離は6km強。その間に新しく駅を設置するのは国鉄側としても採算が合わないと断られていました。

しかし、当時の村長さんは大桑村を一つにするためには駅の設置が不可欠であると、国鉄の関係機関へ何度も足を運んでお願いし努力の末、昭和26年に開業しました。これと同時に生徒の汽車通学も始まりました。本校生徒の40%が野尻地区からの汽車通学でしたし、村の主要機関が集まっていたので、大桑駅を利用する村民も多く、想定乗降客数の2~3倍であったと記録が残っています。